お墓っていつからあるの?

お墓が今のスタイルになるまでには長~い歴史がありました。

特に大きな影響を受けたのは、仏教の伝来といえるかもしれません。

それ以前、例えば縄文時代には「抱石葬」という葬法がありました。
死者に大きな石を抱かせるようにして埋葬する方法です。

それは「死霊を封じ込めるためだった」というのが一つの解釈で、このことからも、「古代では死は穢れと考えられてきた」というのが民俗学の先生方がおっしゃる定説となっています。

「えっ、わたしたちの祖先は、家族の死を悼む気持ちを持っていなかったの?ただ、死んだ人をお化けみたいに思っていたの?」という疑問がわいてくるのは、わたしだけでしょうか…。

でも、本当のところは当時の人々に聞いてみないとわからないと思うのです。

実際、「死=穢れ」だけでは説明できない遺跡が発見されています。

お墓参りの習慣

青森県青森市に35ヘクタールの面積を持つ「縄文都市」・三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)では、多くの土器や大型住居跡などとともに、100基を超すお墓が発掘されました。

遺体に土をかぶせた上に石を載せた「お墓」は、ムラの中心部から東へと伸びる幅15メートルの、いわばメインストリートに沿って、420メートルにわたり配置されていました。

三内丸山遺跡-模型

死者のたたりが怖いとしか思わなかったら、集落のはずれに埋葬したはずです。

また、このメインストリートは、ムラから海まで続いていたと考えられています。

「暖かくなってこんな魚が捕れるようになったよ」
「こんな珍しい石、ヒスイや黒曜石がきたよ」

海の幸を収穫したとき、交易品を運搬するとき、人々は道沿いのお墓に向かってその報告をしていたのでしょうか。

少なくとも、この時代、生きているヒトと死んだヒトの距離はそう遠いものではありませんでした。
むしろ、死んだヒトが日常とともにあって、親しみをもって接していたといえそうです。

人類で最初の埋葬

世界に視野を拡げてみますと、人類で最初に「埋葬」を行ったのはネアンデルタール人でした。

1951年~1960年の調査で、イラクのシャニダール洞窟から8体の遺骨が発掘されました。
その周辺の土からは数種類の花粉がみつかっています。

そのことから、ネアンデルタール人は、死者に花を手向けて埋葬したと考えられています。

何万年も前から、ヒトは弔いのこころを持っていたのですね。

お墓を知ると、その時代を生きていた人々の死者への想いが伝わってくるかのようです。

カタチや弔い方。
時とともに、さまざま変化してきたお墓ですが、これからも生きている人と死んだ人の交流の場であって欲しい。
そんなふうに思うのです。

…今回は、お墓を建てようとお考えの方にその原点のご紹介をと、少々肩に力が入ってしまったでしょうか。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

墓地の寸法を測りにいかれる際には、ぜひお花を手向けてくだいね。

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